ココアが食べ物だったら、普及しなかった

マヤカカオ

カカオ豆は学名は「テオブロマ・カカオ」で、神々の“食べ物”を意味しますが、“飲み物”の原料としての歴史の方が古い……ということは、他のページで書いていますので省略。

このページでは、カカオを加工して飲む習慣が、ヨーロッパに広がっていく流れを追っています。“ココアが食べ物だったら、普及しなかった”かもしれない理由は、その途中で出てきます。

カカオポッド

カカオの品種と歴史

カカオは、神々の食べ物だった。その事実を検証。

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ココアとチョコレートの語源

カレ・ド・ショコラ

スペイン人がアステカ王国を滅ぼし、ヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)副王領として、植民地化した16世紀。

スペイン人は、カカオ飲料を「Cacahuatl」や「chocolatl」と記しました。

語源については諸説ありますが、マヤ語の「チャカウ・ハ(chacau haa)」に、ナワトル語の「アトル」がつき、「Cacahuatl(chocolatl)」になったという説が有力だとか。

ちなみに、「ショコラ(Chocolat)」はフランス語で、チョコレートやココアを意味します。

 

ヨーロッパでの普及

ココアの粉末

16~19世紀にかけて、ヨーロッパでココアが広がります。この時期は、お茶やコーヒーが普及した時期と重なり、『チョコレートの世界史 近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石 』によれば、その過程は2つに分けられるそうです。

 

飲み物だから普及した

スペイン、ポルトガル、イタリア、フランスにおける消費者は、聖職者や貴族でした。

1693年、イエズス会の宣教師が残した書簡には、同会がカカオ農園を2つ経営し、19万本のカカオの木を所有していたこと。カカオを売った収入で施設を運営し、本国の教団維持費を納付していたことが記されてます。

カカオは、カトリック修道会の教団運営の資金源として不可欠でした。問題は、飲み物なのか、食べ物なのか、ということ。

断食する習慣があったので、薬品なら断食中も摂取可能で、食べ物なら不可となります。また、液体なら摂取可能で、固体は不可だったので、ココアの区分けが重要でした。

※ 「新世界」と呼ばれた地域の植民地化の流れは、「カカオの産地」というページで少し触れています。

人

ローマ教皇ピウス5世「飲料であり、断食中に摂取して可」

そんな教皇の発言があったものの、食品だから戒律違反だと主張する医者も……。

こういった論争は、コーヒー、ジャガイモ、トウモロコシ、タバコ、トマト、砂糖など、新たに輸入される品が増えるたびに起こったとか。

そんな背景もあり、カカオは薬品として「飲む」ことが大事でした。なので、“飲み物だから普及した”可能性があります。

 

宮廷ココア担当官

溶かしたココア

1580年、スペイン王フェリペ2世は、ポルトガル王も兼務することに。違う名称で呼ばれることもある王ですが、ここではフェリペ2世としておきます。

ちなみに、フィリピン共和国やフィリピン諸島などの「フィリピン」は、フェリペの名に由来します。

彼が「太陽の没することのなき大帝国」に君臨した頃、ポルトガルの宮廷には「チョコラテイロ」と呼ばれる宮廷ココア担当官が設けられました。主な仕事は下記の通り。

  • 王家や貴族にココアを提供する
  • 王室病院でカカオを処方
  • カカオの備蓄

宮廷でココアを出すときは、豪華に演出するのも仕事のうち。ココアは陶磁器のカップに注がれ、受け皿はメノウ製で金の縁取り。砂糖菓子やビスケットと一緒に出されたそうです。

王室病院では、ポルトガル軍の兵士にカカオが処方されました。カカオマスから抽出したココアバターは、皮膚薬として患部に塗布していたようです。

 

マリー・テレーズとココア

1660年、ルイ14世はマリー・テレーズと結婚します。彼女は、スペイン・ハプスブルク家の王女でした。

輿入れの際に、マドリードの宮廷からスペイン式のココアを作れる侍女を連れてきたことで、フランスでも薬としてココアを嗜む習慣が広まります。

※ 歴史に出てくる「マリー・テレーズ」は何人かいらっしゃいますが、彼女はマリー・テレーズ・ドートリッシュ。マリー・アントワネットの娘は、マリー・テレーズ・シャルロット・ド・フランス。

フランスにおける消費者も、例外的な地域を除けば、貴族が中心でした。

その理由として挙げられるのが、ココアの製造・販売する権利を独占させたこと。国内産業を育成するために輸入品に高い関税をかけたので、フランス国内のカカオ価格が高いまま維持されたことなど。

貴族の女性たちはココア用のカップやポットに凝り、それは「ショコラティエール」と呼ばれました。今では、チョコレート専門の菓子職人の女性をそう呼び、男性はショコラティエですが……。

 

ヴァン・ホーテンのココア

ヴァン・ホーテン

ネーデルラント諸州が、スペインに対して反乱を起こした八十年戦争。いわゆるオランダ独立戦争により、事実上の独立を1609年に達成したオランダは、海外貿易の拠点を広げていきました。結果、アムステルダムの港では、東洋・中南米の品が溢れるように。

18~19世紀に入荷するカカオ量が増えると、市民向けにココアを提供するコーヒーハウスやカフェが増えます。その提供業者の中には、カスパルス・ヴァン・ホーテンもいました。

彼は、カカオ豆を焙煎し、石臼で挽き、固形に固めて売りました。カカオマスから油脂を分離させる発想がなかったので、ココアの塊を溶かすと油脂が浮いて飲みにくかったそうです。

この油脂量の調整に一役買ったのが、カスパルスの息子コンラート・ヴァン・ホーテンでした。彼は余分な脂肪分を取り除く「脱脂」と、酸味と渋みを中和する「アルカリ処理」を編み出します。「ダッチ プロセス」と呼ばれるものです。

カカオマスをプレス機にかけ、脂肪分が50%ほどのカカオマスからココアバターを搾り出し、25%程度まで軽減する方法に成功しました。この発明で特許を取ったのが1828年。

バンホーテンは世界で初めてココア パウダーの製造方法を発明した功績により、1828年、オランダ国王WilliamⅠ世から栄誉の勲章を授けられました。

引用元:バンホーテンの歴史 | バンホーテン ココア ブランドサイト | 片岡物産

 

製法の違い

  • ダッチ プロセス
  • ブロマ プロセス

ココアパウダーを作る製法は2種類あります。先の項目で説明した「ダッチ プロセス」と、アルカリ処理が無い「ブロマ プロセス」です。

バンホーテン ピュアココア

バンホーテン ピュアココアの感想

ダッチプロセスの元祖にして代表格。

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