カカオの産地
「カカオの産地って言ったら、ガーナでしょ」
ガーナチョコレートという商品があるので、一番の産地はガーナと思っている人もいるかもしれません。
でも、最大の生産量を誇るのは、コートジボワールです。それに、産地によって育てている品種にも違いがある……。そう聞いて、興味を持った人向けのページです。
カカオの生育に適している地域
カカオの生育に適しているのは、高温多湿で、平均気温が27℃以上、年間降水量2,000㎜以上の地域。赤道を挟んで南北の緯度が20度以内になるので、中南米、西アフリカ、東南アジアくらい。生産量は下記の通り。
カカオ豆の生産量の多い国
1位:コートジボワール 147万2,313t
2位:ガーナ 85万8,720t
3位:インドネシア 65万6,817t
4位:カメルーン 29万1,512t
5位:ナイジェリア 23万6,521t
育てている品種の傾向は、下記の通り。
- クリオロ種:ベネズエラ、メキシコ
- フォラステロ種:西アフリカ、南米
- トリニラリオ種:中米、東南アジア
カカオの発祥の地
カカオは、マヤやアステカの特権階級の人たちが愉しむ嗜好品でした。なので、発祥の地も この地域になるでしょう。現在の国名で言えば、メキシコやグアテマラ。
画像は「マヤカカオ」のパッケージです。「chiapas」は、メキシコ南東に位置するチアパス州のこと。
このチアパス州の南西部にあるソコヌスコ、チアパス州の北にあるタバスコ州辺りが、クリオロ種の原産地とされています。クリオロ種は病気に弱いですが、生でも美味しいのが特徴。
16世紀。スペイン人は、植民地化したメキシコで、カカオ飲料を飲む習慣を広めます。その後、需要が増えるにしたがって、生産する地域も拡大していきます。
まずは、中米メソアメリカ。17世紀には中米カリブ海周辺、南米の一部。19世紀には南米ブラジル、アフリカと、栽培地域が広がっていきます。
スペイン人が滅ぼす前に栄えていた中米の文化圏です。メキシコの大部分と、グアテマラ、ベリーズ、エルサルバドルの全域、ホンジュラス、ニカラグアの一部など。
生産地の変遷
スペイン人が持ち込んだ伝染病と、過酷な労働によって、ソコヌスコのインディオ人口が激減します。
次に、エルサルバドルが主な産地になりますが、ここでも人口減少。エクアドル、ベネズエラの方に、産地は変わっていきます。
ここで栽培されたのが、フォラステロ種です。栽培は容易ですが、苦いので当時の評判はイマイチ。後に、ミルクチョコレートの原料として評価されます。
フォラステロ種が大量に出回るようになったことで、カカオの価格が下がり、庶民も手を出せるようになります。
ベネズエラの産地「カラカス」では、17世紀から黒人奴隷を使うようになりました。アフリカから奴隷貿易で連れてこられた人たちです。
黒人奴隷による栽培は、カリブ海諸島の砂糖プランテーションでも見られました。こちらはフランス人が経営していて、カカオの栽培はクリオロ種からスタートし、フォラステロ種との交配で生み出されたトリニラリオ種へと代わります。
こんな感じに、ヨーロッパ人による植民地での栽培が広がっていきます。この栽培地域の拡大は、砂糖となるサトウキビにも言えました。
ガーナにフォラステロ種が移植されたのは1879年。ブラジルを植民地化したポルトガルが、アフリカに移植したのです。
スペイン人のエルナン・コルテスが上陸し、数十年でアステカ人の間に伝染病が蔓延しました。一説には、サルモネラ菌が原因だったとも。腸チフスは、サルモネラの一種であるチフス菌によって引き起こされます。
この病気に免疫がなかったので、多くのアステカ人が亡くなったとされています。また、『サピエンス全史(下)』によれば、初めてスペイン人がメキシコに着いたとき、香炉を持ったアステカ人が案内したそうです。これは、香炉が無いと臭くて堪らないからでした。当のスペイン人は、神の如く尊ばれている証だと思っていたそうですが……。
16世紀メキシコの伝染病による死亡者の歯からサルモネラ菌(Salmonella enterica)のゲノムが分離されたことが、今週報告される。その研究成果は、アメリカ大陸に関して知られている最初のサルモネラ菌発生例を示しているが、それはヨーロッパ人が持ち込んで壊滅的な影響を生じたものと考えられる。